Ryotabi

大学生のユーラシア横断紀行やインド紀行

【世界一周65-67日目】ミャンマーから陸路でインド北東部へ国境越え!マニプール州での出会い

これからフェリーで3日かけて黒海を渡りウクライナに向かいます!

1つ前rの記事でこの旅の帰国予定について書きましたのでよかったら覗いてください。

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65日目:モレで大ピンチ!?

前日16時にマンダレーを出発したバスは、明け方ミャンマー側国境の町タムー(Tamu)に到着。

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国境までは数キロありましたが、なんとなく歩きで行くことに。

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赤丸の所が外国人が通れる国境。赤バツは現地人用らしいです。そして赤星が荷物検査などする施設(坂を登ったらデカい建物が見えます)。

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一歩進むごとにインドが近づいてくる。

楽しみももちろんあるけれど、北東部というあまり情報のない地域へ行くことの不安も同じだけどあります。


バイバイミャンマー。ビザフリーにしてくれてありがとう。お気に入りの国の1つになりました。

 


そして出国、入国共にスムーズに進み!いざこの旅6カ国目インド入国!

 


昨年の8月から開いたこのタムー-モレ国境。ここはユーラシア横断する旅人にとってかなり重要な場所になるんではないでしょうか。観光地化される前に行けてよかった。
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国境橋



少しこの地域の説明を。

ミャンマー、バングラ、ブータン、中国に挟まれた地域にある7つの州をセブンシスターズ(7姉妹州)と呼びます。

所謂が皆さんが想像する「インド」とはシリグリ回廊でかろうじで繋がっているだけです。

そのため「インド」とは一線を介していて、モンゴロイド系が多く、宗教もキリスト・仏教・アニミズムと様々。豚や牛のみならず、芋虫なども食べます。

何度となく独立の気運が高まったものの、今はインドの一部として落ち着いて(落ち着かれさて)いるそうです。

 

 

さ、荷物検査も特に問題なく終わり、後は町へ進み州都であるインパール行きのバスに乗り込むだけです。

町の中心に行く道だけで、いくつかの教会を横切ります。なんだか不思議な感じ。

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いやーーー、昨年初めてインドを訪れた時とは打って変わって、なんて落ち着いてる場所なんだ…。ニューデリーの住民に見せてやりたい…。

 
長閑だ〜。

 
人も全然いないな〜。

 

 

ほ〜ん?

 

 

ん…

 


町中シャッター閉まってね???

 

 


閉まってます。

 

焦る。

飯屋も、宿も、SIMショップも、銀行も、ATMも全部閉まってる!!!!そしてバスもない!!!詰んだ!!!!なんだこの町は!!!やる気ないんか!!!???殺す気か!!!???

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しかしなんたるや、ネットに書いてあった安宿Sangai Lodgeは幸いにも空いてました。どうせバスもないので泊まることに。ツインで1人150ルピー。やはりインド、安い。

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しかし両替も出来ない僕らにはそれすら払う金がありません。オーナーさんが優しく後払いを了承してくれました。

 

朝から何も食ってないのでとりあえず雨の中、お金と食料を見つけにいきました。

 

そして!たまたまS氏が話しかけた男性が、救世主だったのです。


英語の流暢な彼は、困った僕らに親切にしてくれました。

外国人が通れない方の国境でイミグレ職員に事情を説明し、緩衝地帯にある両替所まで僕らを連れていってくれました(グレーゾーン...)。

そしてそこでSIMも購入。


「はぁ…これでなんとかなる。ありがとう。ありがとう。」

うちで飯食ってけよ!

「まじ!?行く!!」


空腹のあまり危機管理能力が下がってましたが、背に腹はかえられません。こっちは2人だし行ってみよう、と。


彼は自宅で学校を開いており、家には大きな黒板が。そしてお母さんが炒飯をつくってくれました。

この感じだと安心出来ます…。はぁ…。有難や。有難や。

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そして彼曰く、数ヶ月前に起こった小学校放火事件に対してのデモ(?)の影響で、この日に限って町がこんな状態らしいです。

 


晩飯もうちで食ってけよ!


言わずもがなですね。


それまで彼はジムに(こんな町にもあるのか…)、僕らは散歩へ。


メインストリート沿いは小さな国境の町という感じですが、少し道を逸れると村です。

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そして夜になったので再び彼のお家へ。

3種類のカレー!

白っぽいのがイロンバ(Iromba/Eromba)というマニプール州のカレーらしい。

材料は唐辛子、魚、豆、茎。辛いが清涼感がある不思議な味。

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たらふくご馳走になった後は違法DL映画上映会。


しばらくすると外からドンチャン騒ぎが聞こえてきたので外に出ると、近所で結婚式がやっていた!
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彼の知り合いのらしく招いてくれました。アジアの結婚式は誰でもウェルカムで、飯食って、帰るみたい雰囲気が大好きです。ここでもカレーを頂く。すこぶる美味かった。
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相席した少年たちも英語が達者で感激。やはりヒンズー語が母語でない彼らにとって英語は必須とも言えるのでしょう。
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本当彼には感謝してもしきれません!最初は「出だし最悪!!」とか思ってたけど、記憶に残る体験が出来ましたとさ。

 

66日目:インパールで学生と寮生活!

早起きしてマニプール州都のインパールに向かいます。

昨日の町とは打って変わって活気があります。

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とは言ってもこっちが正常

 

バスは130R(190円)。モレからは100kmほどですがいかんせん山道なので4時間半もかかりました…。

途中パスポートチェックがいくつかあったのもその要因ですね。パスポートのコピーなどは不必要でした。 

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アジアハイウェイ(AH)1号線にも拘らず道はガタガタ。インパール盆地が見えた時は「ぁあ、やっと終わる」と言った感じです。

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そして難航したのが宿探し。ネットに載ってるのは少し高かったのでもうちょっと安いのを探そう思ったのです。

しかしHostelと名の冠してる場所に行くと、「ここは寮だから」と断られてしまいます。

 


うーん、どうしたものか。と最後のあがきで別の場所に聞いてみると。

 


娘「うちも学生寮だから泊められないわ。

僕「とほほ…わかったよ

娘「ちなみになに人?

僕「日本人だよ

娘「日本!?大好き!!お父さんに泊めてもいいか聞いてくる!!!

 
父「日本人か!泊まってけ!

 

 

なんたるや。日本人が最強なのはパスポートだけではなかったのです…ここまで国籍で態度が変わるものか…。

 

しかしこれは僕にとって嬉しい事でもあったけれど、驚きでもあったのです。

 
というのもこの地は、第二次世界大戦で日本軍が大量の死傷者を出した『史上最悪の作戦』インパール作戦が行われた場所だからです。

今の世代がどれだけ知っているか分からないけれど少し不安でした。

でもこの家族はとても温かく受けいれてくれてほっと一息。

 


少し休んだ後、次の目的地ナガランド州都コヒマへのチケットを買いに行きます。

どこの旅行社も軒並み600Rでしたが、500Rに値切ってくれました。バス会社はこの通りに並んでます。

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夜はここの寮に住んでる学生達も交えて晩御飯。もちろんカレーです。

なんと彼らは医学部志望らしい。応援するばかりです。

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自分で使ったものは自分で洗う。なんだか本当の寮生活みたいで楽しいです。

 

 

67日目:インド平和記念碑へ

この日はコヒマへの移動日ですが、14時発のバスまでの間どうしても行きたいあの場所へ。

 
それはインパール作戦戦没者を弔ったインド平和記念碑

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無謀な作戦のために、多くの兵士が亡くなりました。もちろん日本兵だけでなくインド兵、イギリス兵も。

ご存知ない方は是非一度、ネットで調べてほしいです。

 

寮生たちも一緒に来てくれたのでトゥクトゥクで行きました。

 

 


管理人の方に言えば線香を手向けさせてもらえます。

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横にはかつて使われていた大砲が置いてありました...が学生寮たちはここでもセルフィー大会(笑)。

 

 

最後に管理人の方に感謝のお金をお渡ししました。

 

それと、僕が訪れた2週間後に平和資料館が開館したそう。インパールに行く予定のある方は是非立ち寄ってみてください。

www.sankei.com

 

 

時間になったのでバス停に向かうことに!

宿泊代を支払おうとすると

 

娘「お金はいらないわ!ね!お父さん?

父「もちろん。その代わり娘が日本に行った時は世話してくれ

 

 

 

Incredible India

 

 


なんて言うことでしょう。モレに続き、ここでも優しさに触れてしまいました。

 

そしてお母さんは別れ際に缶詰のお菓子を渡してくれました。

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学生くん達がバイクで送ってくれました。最後まで感謝でいっぱいです。

 


これも「インドの洗礼」なのではないでしょうか。

確かに早々にぼったくりや病気に襲われることも「インド」ならば、この無償の優しさも「インド」です。去年大変だった時も様々な人に助けてもらいました。

www.ryotabi.net

 

なんだか幸先いいぞ〜〜!

 

 

別れを惜しみつつバスに乗車。

これから向かう先はナガランド州。様々な慣習や生活が残ってるということで楽しみ!

 
再び山道を進みます。例の如く揺れに揺れますが、僕の最大の長所はこんな状況でも爆睡出来ることなんです。

 
雨季なのもあって、道中ぬかるみにタイヤを取られます。

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皆んなで押せば解決


道中は美しい棚田が見えます。

 


さぁそろそろコヒマ到着!どの辺で降ろされるのだろうと、とりあえず乗り続けていると何やら関係のない方向へ。

これはまずいと運転手に話しかけると、このバスはコヒマ経由ディマプール行きだったそう!

皆さんもお気をつけください。

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そして20時に到着!

宿は戦争慰霊公園の真横にあるecostay hostel。朝飯付きの清潔な個室ドミで1泊550ルピー。Wifiはありますが、繋がりません。少し高いですが、安宿自体あまりありません。


しかし窓から見る夜景は巨大な教会がいくつか見えて綺麗でした。

山の上によくもこんな街を作り上げたな、という印象。

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なにより涼しい!涼しいのだ!!

 

 

ここで僕は気付きました。

 

 

「インパールのお母さんからもらった缶詰、バスに置いてきた」

 

 

斬っっつつつつ!!!!!!!!

 

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