愛すべきバングラ編ついに完結です。
最後はなんかクサい感じになってますが、気にせんとってください。
94日目:バンガバンドゥ博物館とボシュンドラシティショッピングモールへ
どん。
さぁこの日はダッカの街中を散策しようと思います。泊めてもらっているアパートから乗合バスとリキシャを使って中心街へ向かいます。
向かったのはバンガバンドゥ博物館(Bangabandhu Memorial Museum)。
1971年、西パキスタンから独立したバングラデシュ、その初代大統領であり建国の父と呼ばれるムジブル・ラフマン。
博物館は彼のかつての邸宅であり、1975年に殺害された場所でもある。
バングラ人にはラフマンハウスと言えば通じました。
入場料は5タカ(6円ちょい)と意味わからんくらい安かったですが、バングラ独立までの軌跡が展示されていてタメになります。
そして1975年、ラフマンやその家族が実際に襲撃を受け殺された現場がそのまま残っています。銃痕や血痕、それだけでなく彼らの生活の香りもリアルに感じられます。
日本はバングラ独立当時から支援しており、国民からは好印象です。
ラフマンの娘さんであり現首相シェイク・ハシナさんは暗殺事件の際はイギリスにいて難を逃れました。ラフマンは農業国から工業国へ成長していった日本をロールモデルとし、国旗も日本を意識して作られたとハシナさんが証言しています。
ぜひこの博物館に訪れてみてください。
その後はボシュンドラシティ(Bashundhara City)というショッピングモールに行って参りました。
中に入ってびっくり、
めっちゃちゃんとしてる!!
入ってるお店は洋服屋と電子機器が多いですね。
しかし!ユニクロもあります。地味に感動したよね
タピオカ屋さん見つけたので飲んでみました。200円と高かった上に、5粒に1粒くらいの確率で鼻くそみたいな硬さの奴が混じってました。
しかも上の階行ったらChatimeあったし...!!
しっかりしたショッピングモールでしたが、隣にはトタン屋根の家々も見えます。
このショッピングモールの目の前は大通りになってて超渋滞なのでお気をつけくださいまし。衝突事故もよくあるので。
95日目:バングラデシュ最後のカレー祭り
この日は朝から前回の日記(クリックで飛べます)に出てきたヤマハバイク兄さんが色々連れ回してくれました。
まずは腹ごしらえ。彼オススメの牛足肉のカレー屋さんへ。
右の方は彼の友達ですが、不幸なことに僕らと合流する少し前に携帯かち割ってしまったそうです。かち割り兄さんと呼びましょう。南無三。
そして彼の仕事場を見せてくれました。
牛肉を海外に輸出してるらしい。でも...汚い水でお肉を洗ってましたねぇ...。
お昼ご飯は先日会った彼の叔父さんの家でいただきました!
なんかこのブログのバングラ編、登場人物多すぎてよくわからないですよね。
見てくださいカレーだけでこの種類!中央下の卵から時計回りに魚・豆・マンゴー・牛・ナスです!味は言わずもがな。
夜はバイク兄さんの連れの人たちとチャイを飲んで談笑していました。みんな英語達者なんですよねぇ。ひたすら「チューディルバイ(ヤリチン)」を言わされた楽しい夜でした。
96日目:ダッカからシリグリへのバス探しでフィーバー
インドへそろそろ戻らなければと思い、Shyamoliへバスチケットを買いに行きました。
この辺は特に渋滞してる地域なので道路の横断は歩道橋を使いましょう。バス会社は通りに沿ってちらほら。
僕はインドのシリグリへとりあえず抜けようと思ってました。そこへ行くにはバングラ側の国境ブリマリ(Burimari)またはバングラバンダ(Banglabandha)へバスで向かう訳です。
しかーし、そっち方面のバスが全然見当たらない。
実はシリグリへの直行バスあったんだけど高かったしパスポート忘れてそもそも買えなかったんです。
んーーー。なんかそうやって悩んでいるうちに頭が痛くなってきました。
いや、そういう意味じゃなくて。本当の頭痛。
アパートに帰って熱を測ってみると...39度!!!
ぐぐ。しかも何だか節々が痛くなってきました。
「あぁインフル?マラリア?早く..インドに...ネパールに俺を連れてっておくれ...。」
今晩出発するのは明らかに無理なのでもう一泊することに。
しかし彼らはバカなのでしょうか。
「ヘイリョータ!遊ビニイクゾ!」
「まじでキツイから無理。悪化したらネパールで親に会えなくなるから。てか39度あるから。」
「バイクニ乗レバ熱冷メルゾ!」
・
・
・
そうして、こう。
意識もはっきりしない中、路地裏を爆走し、激辛屋台飯を食わされ、作り笑顔も出来ないのにセルフィー撮らされ...帰宅して死んだように眠った。
97日目:ありがとうバングラデシュ
何ということでしょう、熱が下がりました。
別れ際に「アッラーがお助けになられるぞ」と言われたんですけど、もしかしてそのおかげなのかも知れません。決してバイクで夜遊びしたおかげではありません。
ならば今夜ダッカを出よう!流石に急がないと!
するとピアーシが思い出したように言いました。
「そーいえばバス、アプリで予約できるわ」
お、おい〜!!
まぁありがたいことです。
さて、10日以上お世話になったピアーシとお別れです。
金欠の中わざわざダッカまで来てくれて、ずっと一緒にいてくれた。
彼は年下の弟たちとは住んでいるけれど親族に同じ年代の男子はいない様子。
だからか僕のことをダチのようにも、兄弟のようにも接してくれていました。
サジッドとアラフとコルカタで出会い、たまたまその遊び仲間だったピアーシ。
だけどこんなにも繋がりを感じれる存在になれて本当に嬉しい限りです。
「一番印象に残ってる国は?」って聞かれたいつも「バングラデシュ !」と答えるようになったのも、こういった沢山の出会いに恵まれたからです。
ダッカを離れたら数日間1人、そしてネパールで両親と合流。
別れと出会い。
ありきたりな2つの言葉だけど、やっぱりこれに尽きますね。
さらばバングラデシュ!
お世話になりました!
ピアーシ、別れ際泣いてたなぁ。
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